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なお、もうひとつ、重要な史実がある。 ウォルター・ウェストンが宮地兵次郎の家の前を通っていた! 宮地兵次郎が中心になって開削した 中山道の中街道は、あの有名な登山家の ウォルター・ウェストン(Walter Weston)が通っている。 (恵那山登山の途中にて) ウェストンの恵那山登山については、こちら。 中街道の開削完成が1882年、 ウェストンが通過したのが1893年である。 宮地兵次郎の家は、以下に述べられている 半原峠のすぐ近くの中山道・中街道の道路沿いにある。 何という歴史の巡り合わせか。 宮地兵次郎は戸長であったから、 外国人の通過は知っていたと思われる。 しかしその資料が今となっては残っていないのが残念だ。 以下、「ウェストンの恵那登山と天竜川下り」 川村宏氏著 2004年10月1日発行 から記述の一部を抜粋させていただく。 資料として使わせて頂いたことに、 川村宏氏に深く感謝申し上げます。 この書は現在販売在庫は無く、古本としても出ていない。 松本市図書館の、O氏の尽力により 某図書館より見つけ出していただいた。 感謝である。 参考までに、従来からの道(細久手、大漱を通る)を 中山道の上街道と言う。 「ウェストンの恵那登山と天竜川下り」より (p11) -(前略)- 「伏見(御嵩町)で再び中山道に戻った一行は 御嵩を抜けて一路東へと辿った。 中山道は井尻(御嵩町)から東北東へ細久手、 大漱を通り大井(恵那市)へと向かうが、 ウェストンらは明治15年(1882)に 改修された中街道へ入った。 4.中街道と柄石峠茶屋の化石 「井尻で我々は再び中山道から離れた。 中山道に沿ってやや右の方へ別れて行き、 3里半先の釜戸まで延びている新しい道で、 下街道に通じていて結局は大井で中山道 に合流するのである。 (中略) 途中で2つの峠を越えねばならなかった。 最初は柄石峠で、その西側の麓の橋本屋 という宿で昼食のため休んだ。 宿のとても親切な応対は、もっと休んでいたい 気分にさせてくれた。」 (『JWM紙』) 井尻から中街道で次月(御嵩町)に着き、 ここの橋本屋で昼食を摂つた。鬼岩橋の 袂にあるところから橋本屋と名付けられた 宿の建物は今もその場所にある。 -(中略)- (p12) この中街道は2つの峠が冬場の難所だったようで、 明治35年頃には次月から先が今の国道21号線 に当たる新道に切り替わっている。 ウェストンらは鬼岩橋を渡り、現在の鬼岩公園の 南側を抜けて瑞浪市域の柄石峠、本郷、 半原峠を越え、釜戸で名古屋からの下街道へ入った。 柄石峠の茶屋については 「宿から半時間歩いた峠の頂上は、 茶屋が目印になっている。 茶屋にはその近辺で見つけた色々な化石や 水晶が売り物として並べられている。 これらのうちの幾つかを調べている間に、 我々の注意は黒っぽい毛虫の群の珍しい行進に 惹きつけられた。毛虫の奇妙な行動をもっと詳しく、 ここにいて調べられたらと思わせる程の規則正しさで、 群れをなしてその辺りを這い回っていたのである」 (『JWM紙』) と書き留めている。 |
著作権の関係でページのコピーは掲載できないが p194に壊れた馬車のことや 釜戸(現・瑞浪市釜戸町)で人力車に乗り換えたことが 書かれている。 釜戸は半原を下ったすぐ東にある。 なお、 「日本アルプス 登山と探検」 として、ISBN4-582-76094-5 1995年に平凡社からも発行されている。 上記p194の内容は、この本ではp223に記載されている。 |